#01 ベートーヴェンとその生涯
はじめに
12月22日の第九演奏会に先立って、ご来場いただく皆さんに当日の演奏をより楽しんでいただきたいと思い、
9月の定期演奏会同様に、今回もWEB特設コーナーを設けさせていただきました。第1回を迎えました今回は、わたしたちが演奏する曲のひとつ、交響曲第九番ニ短調の作曲者であるベートーヴェンの人物像について触れていきます。
ベートーヴェンという人物
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)は「古典派音楽」と「ロマン派音楽」の双方の時代に跨って最も偉大な功績を残した音楽家の一人です。ドイツの北西部に位置する古都ボンで生を受けた彼のファーストネームであるルートヴィヒは、当時ボンの宮廷楽長を務めていた父方祖父の名前を受け継いだものです。生涯を通して数々の苦難に見舞われながらも、誰にも真似ることのできない発想で生み出してきた彼の音楽はその時代の音楽文化を推進する力そのものでした。
「ドイツ3大B」と謳われ、J.S.バッハ、J.ブラームスと並んで今日に至るまで生み出してきた数々の作品とともに自身の名を残しているのは、才能のただ一言で片づけられるものではありません。交響曲第9番の歌唱部分に "O Freunde, nicht diese Töne!"(おお友よ、このような音ではない!)という歌詞を自ら織り込んでいますが、己の理想に見合った、ただひとつの音をひたすら追求するベートーヴェンの苦悩を伴った執念がここに表れています。
※ 古典派音楽 :1730年代から1810年代までの音楽文化の総称。その名の通り温故知新をテーマとして掲げ、バロック時代に複雑に肥大化した音楽構造をギリシャ・ローマ文明の頃の昔のように単純化しようという目的の元に生まれる。
※ ロマン派音楽:1800年代初頭に現れた新しい音楽文化の総称。「理想と現実」「伝統と革新」「標題音楽と絶対音楽」といった対立関係にあるテーマが激しく入り混じることとなる。
ベートーヴェンの幼少期
ベートーヴェンの人生はまさしく苦悩との隣り合わせだったと言えます。
幼い頃から音楽に対する感性が人一倍敏感で、周囲からも人より秀でた才能を評価されていた彼は、"第二のモーツァルト"になれるだけの可能性を当時秘めていました。しかし、その才能の非凡さ故に、父ヨハンから金儲けの道具として目を付けられ、4歳の時から英才教育という名のもとに、虐待じみた仕打ちを受けて育ちました。幼少期に受けた心の傷というのは、どれほどの長い時間を掛けても簡単に癒えるものではなく、場合によっては、一生その子供の行動や性格を支配するとも言われています。アルコール依存症で暴力的な父親から虐待を受けていたベートーヴェンもまた心理的にトラウマを抱え、生涯に渡ってこの過去の辛い記憶に(意識下、または無意識下のうちに)苦しめられてきました。幼い内から徹底的に苛烈な特訓を毎日受けていたにも関わらず、彼は父親が期待していたような第二のモーツァルトにはなれませんでした。
幼い内から音楽家としての才能を認められ、のびのびと自分の好きなように音楽と向き合い、柔軟性を磨いていったW.A.モーツァルトとは対照的に、子供の無限に秘められた可能性や万能感を父親に破壊されたベートーヴェンは、しかし、その幼少期に体験した出来事ゆえにモーツァルトともJ.F.ハイドンとも違う彼独自の感性を養っていきます。
作品の特徴
ベートーヴェンの作風は一般的に前期・中期・後期の3段階と分けられています。生み出されたそれぞれの時期の作品には区分ごとに共通した特徴があります。ハイドンやモーツァルトが築き上げた音楽形式の集大成からスタートし、その高みを継承したうえで更に発展させていった「前期」、高みを上り詰めた極点において真のベートーヴェンらしい音楽を譜面上に語るようになった「中期」、幼少期からのトラウマと徹底的に向き合い、語りつくすべき己を全て出しきったかのような激しい消耗感やスランプを克服し、古典派音楽にそれまでなかった幻想的でロマンを感じさせる音楽を生み出した「後期」という区分です。
◆前期(〜1803年頃)
ピアノ・ソナタや弦楽四重奏、交響曲などで古典派音楽の形式を完成させたJ.F.ハイドンと管弦楽曲や協奏曲、交響曲、オペラなどで才気あふれる数々の作品を残したW.A.モーツァルトの影響を受けており、明るく快活な作品が多い時代です。同時に、偉大な功績を残した2人の影響から抜け出せていない部分もあり、精神性の深奥さでは後期の作品にはまだ遠いものがあります。
この前期の作風は「ハイリゲンシュタットの遺書」を書くまで続くこととなります。
作品
交響曲第一番ハ長調 Op.21
交響曲第二番ニ長調 Op.36
ピアノ・ソナタ第八番ハ短調『悲愴』 Op.13
ヴァイオリンと管楽器のためのロマンス第一番ト長調 Op.40
バレエ音楽『プロメテウスの創造物』 Op.43
◆中期(1803〜1817年頃)
1798年に聴覚障害の最初の予兆を感じてから、ベートーヴェンの耳は徐々に聞こえなくなっていきました。音楽家としてはなににも増して致命的なことです。また、彼は弟子でイタリアの伯爵令嬢ジュリエッタ・グイチャルディに恋をしていましたが身分の差を前にして苦悩します。不安と絶望が頂点に達したときに最愛の弟ヨハンと甥のカールの二人にあてて執筆した手紙が、かの有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」です。一時は自殺までをも考えたが、芸術に引き留められたという切実な内容で綴られています。
「ハイリゲンシュタットの遺書」の時期を乗り越えてからの作風は「中期」に分類されます。この時代に差し掛かってからはハイドンやモーツァルトの継承者としての影は微塵も感じさせない楽曲を生み出しました。ピアノソナタや交響曲をはじめとしたあらゆるジャンルの音楽で彼自身の独創性を発揮した作品が多く、そのため「傑作の森」とよく形容されます。
作品
交響曲第三番変ホ長調『英雄』Op.55
交響曲第四番変ロ長調 Op.60
交響曲第五番ハ短調『運命』 Op.67
交響曲第六番へ長調『田園』 Op.68
ピアノソナタ第二十三番ヘ短調『熱情』 Op.57
ピアノ協奏曲第五番『皇帝』 Op.73
劇音楽『エグモント』 Op.84
歌劇『フィデリオ』 Op.72
◆後期(1817年頃〜)
己の語るべきことを音楽にしてすべて吐き出しきったかのように、「傑作の森」時代を過ぎた後のベートーヴェンは長期間のスランプに苦しめられます。父親を亡くした後も幼少期のトラウマに取りつかれていた彼は、徹底的に過去と向き合うことで「前期」とは違う、彼自身にしか作れない曲の数々を生み出してきましたが、その勢いもやがて完全燃焼の中に落ち着きます。
その様な中で彼の作風はまた変化していくこととなります。緻密に計算、構築を繰り返し理想の形に徐々に近づけていくという、どこか数学的、思弁的な色を感じさせるそれまでの作風から、心に浮かんだ叙情を素直に描こうというロマン的な作風が顔を覗かせるようになります。こうして後期に残した功績が、後にロマン派音楽時代への扉を叩き、その礎を築きあげたのです。
作品
交響曲第九番ニ短調『歓喜に寄す』 Op.125
弦楽四重奏のための『大フーガ』変ロ長調 Op.133
ディアベリのワルツによる33の変奏曲ハ長調 Op.120
荘厳ミサ曲 ニ長調 Op.123
人間性
慢性的に感情の起伏が激しく、大声で爆笑していたかと思った次の瞬間には持ち前の癇癪を遺憾なく発揮させ、なりふり構わず当り散らすなどというどこまでも破天荒な言動を生涯貫いていたベートーヴェンの人柄は、どう贔屓目に見ても万人に受け入れられるものとは言い難かったようです。一般の人と比べて、考え方や習慣、言動に激しい偏りを持っていた彼は典型的な「アダルトチルドレン」であったとされています。
アダルトチルドレンとは安全な場所として機能していない家庭で幼少期を過ごし、大人になっても生きづらさを感じている人たちのことを指します。よく「大人になりきれない子供」という風に誤った解釈をされがちですが、アダルトチルドレンは本来、無邪気で子供らしい子供時代を過ごすことができず、むしろ子供のころから大人として生きなければならなかった人のことを言います。
幼少期に父親から受けた厳しい仕打ちの数々が、ベートーヴェンの人格形成に大きな比重を置いていたことは想像に難くありません。幼くして受けた心の傷を以って形成された性格のために、多くの人が彼の元を離れました。才能を見込まれて師弟関係を結んだハイドンや、最愛の弟ヨハンの息子であり、自身の甥であるカールも例外ではありません。彼は生涯に渡って絶えず多くの人々と衝突し、その袂を分かつということを繰り返してきました。
そんな、「偏屈が服を着て歩いている」という表現を絵に描いたようなベートーヴェンですが、同時に思い込みで直るものではない己の短所によく悩んでもいました。どれほど大人げない振る舞いをしても、後になってから酷く気がとがめ、消沈した態度で平謝りすることが度々あったそうです。それを裏付ける出来事として、ベートーヴェンはある友人にこんな手紙を書いています。
「二度と俺に近寄るな! 貴様は信用ならん犬野郎だ! 貴様なんか、他の犬ども全員と束にして絞首刑にされればいいんだ!」
文章から彼の興奮がありありと伝わってくるようで、相手を傷つける言葉を意図的に選んだような罵詈雑言が確認できます。ところがその翌日、同じ友人に書いた手紙には、
「君は正直者だ。君の言っていたことは正しいと今になって分かったよ。今日の午後、うちへ遊びに来てくれよ」
とあり、まるでセルフコントロールの効かない自身の性格に苦しめられている姿が遠回しに映し出されています。
ベートーヴェンはお世辞にも素晴らしい人間性の持ち主だったとは言えませんが、多くの人からは中々理解されないその大きな欠点を憎まずに許し、温かい友情を築いた人々がいたこともまた事実です。荒々しい、荘厳さの漂う曲であったり、優雅で繊細さが際立つ曲であったり、ベートーヴェンの作った曲が必ずしも彼の苦悩に満ちた人生を反映している訳ではないのは、アップダウンが激しく矛盾さえも伴うもののやはりどこか憎めない彼の性格に重なるものがあります
おわりに
この解説が、ご覧になった皆様にベートーヴェンへの理解をより深めていただける一助となれば幸いです。
次回は交響曲第九番ニ短調に使用されているシラーの詞について解説していきます。是非ご覧ください。
(文責:語学・学術部)