第九演奏会は無事終了いたしました。ご来場ありがとうございました。
#02 シラーと『歓喜に寄す』
はじめに
今回は、「第九」とシラーの詩の関係について、ご紹介したいと思います。
私たちがこの度演奏する交響曲第九番ニ短調はL.v.ベートーヴェンが作曲しましたが、その第四楽章につけられている歌詞のほとんどがフリードリヒ・フォン・シラーの詩『歓喜に寄す』の引用であることは有名です。
ベートーヴェンは、生涯シラーの詩を愛読していましたが、実際にそれを第九の歌詞に織り込むにあたり、3分の1の長さに翻案したとされています。
ここでは、シラーはどのような人物であったのか、また、ベートーヴェンと『歓喜に寄す』の出会いについて、簡単に説明をしていきます。
シラーという人物
ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラーは、18世紀後半〜19世紀前半を生き抜いたドイツの古典主義者です。
古典主義は、17世紀にフランスで始まり、18〜19世紀初期にドイツで盛んとなりました。
ギリシャやローマの古代古典を理想とし、均衡や調和を目指したロマン主義の対概念とされるものです。
シラーと同時代のドイツ古典主義者にはゲーテ(1759〜1832)があり、ゲーテとシラーはドイツ古典主義文学を大成したとされています。
1759年、ドイツ西南部にある小さな田舎町マールバッハで生まれたシラーは、軍人の父を持ち、幼い頃から非常に優秀でした。
優秀さゆえに、強制的に軍人養成学校<カール学院>に入学させられますが、そうした"権力による強制"に反発を感じたシラーは、
18歳のときに処女作『群盗』(自由と正義、権力に抗する崇高な犯罪者の物語)を書き始めます。
しかし、匿名で発表されたにも関わらずシラーの作品であることがばれてしまったため、彼は独房に入れられ、医学書以外の著作活動を禁じられてしまいます。
半ば幽閉のような生活を強いられたシラーは、亡命しながらも執筆活動を続け、詩・評論・歴史書など数多くの作品を書き残しました。
そしてその中に、彼の代表作である、『たくらみの恋』(身分違いの恋の顛末を書いた市民悲劇)も含まれています。
その頃の生活は非常に貧しく、若いシラーは路頭に迷うことも多々あったといいます。
こうした困窮状態のシラーを支えたのが、親友であるケルナー(1756〜1831)です。
ケルナーを訪ねたシラーは、彼から暖かい歓迎のみならず、無償の援助と著作への共感という精神的な支援も受けました。
その時の感動を、後にシラーは『歓喜に寄す』で表したとされています。
シラーの作品には、理想主義・英雄主義・自由を求める不屈の精神という統一テーマが流れています。
青年期には肉体的自由を、晩年には精神的自由を求めた、彼の自由への貪欲さがドイツ国民の精神に大きな影響を与えていきました。
ベートーヴェンと『歓喜に寄す』との出会い
ベートーヴェンがシラーの詩『歓喜に寄す』に出会ったのは、フランス革命真っただ中(おそらく1792年頃)のことでした。
当時青年であったベートーヴェンは、フランス革命に興奮し、その時代に新しく芽生えた啓蒙思想やフランス革命の理念自由・平等・博愛に憧れを抱きます。
そして、その影響を強く受けているシラーに魅了されていくのです。1787年に発表されたこの『歓喜に寄す』がベートーヴェンのみならず全ドイツを熱狂させたのは、
シラーがフランス革命に先立って、その革命の原動力たる<歓喜>を民衆のものにするために歌ったからだと言われています。
ここまでは「交響曲第九番ニ短調」にかかわる2人の人物についてご覧いただきました。
次は、当団演奏会で「第九」の前に演奏する "野に歌う六つの歌 第二集 作品48" の作曲者であるメンデルスゾーンの作品を紹介します。どうぞお楽しみに。
(文責:語学・学術部)