第2回 歴史と民衆
はじめに
皆さまこんにちは。今回の定期演奏会では現在のフランス地域で目覚め発展していった音楽を取り上げます。
これに際し、今回は人々の生活と社会情勢にスポットを当て、演奏会にいらっしゃる皆様に中世〜ルネサンスの時代をよりリアルなものに感じていただけるよう、簡潔ではありますが記事を書かせて頂きました。演奏会をより深く楽しんで頂けるための一助になれば幸いです。
中世とフランスのおこり
ヨーロッパにおける中世はおよそ6世紀〜15世紀の時代のことですが、本格的な始まりは9世紀〜10世紀ともみることができます。というのもその頃に「ゲルマン民族の大移動」の収束による人々の定住化でキリスト教が大衆に浸透し、また封建制社会が成立し始めたためです。
9世紀〜10世紀にはヴァイキングやマジャール人の侵入、フランク王国の分裂、その後の王権の衰退の中で、何が起こるか分からない世の中で人々は自力で自分を防衛するしかなくなってしまいました。
そこで地方の有力者に土地を託し主従関係を結ぶようになります。これが中世の大きな特徴である封建制と呼ばれるものです。この結果、地域防衛の中心となった地方の領主が諸侯として自立していきます。各地の領主が領地争いを繰り広げるうちに弱い領主は自分の領地を守るために強い領主の家臣になるという形で、領主と家臣のあいだで主従関係の系列ができてきます。
君主になった大領主は家臣になった小領主の領地を守って生活を保障する代わりに、臣下になった小領主は君主に忠誠を誓って、戦争になったときは軍役奉仕をします。これにより人々の生活は保護されていました。
今回はフランス地域の音楽をお届けしますので特に現在のフランス地域に焦点を当ててお話します。
フランスの源流は481年にメロヴィング家のクローヴィスが建国したフランク王国で、ライン川周辺に住むゲルマン民族ひとつフランク人の小国家を統一したものです。しかし843年には相続問題を終結させるために結ばれたヴェルダン条約により、西部、中部、東部に分かれてしまいます。この3部分のなかでも西部フランク王国は現在のフランスにより強い影響を与えています。
人々の生活
封建制度が成立し、都市が発達するまでの12世紀〜13世紀までの間はほぼすべての人々は村単位で生活をしていました。封建社会の主従関係の下で土地を得た領主は治安の維持や行政を担当する代わりに村民や農民に対して労働や農産物の提供を強いるようになります。このような土地は荘園と呼ばれ、領主の直営地と農民の保有地とからなっています。
農民は、週の半分は領主の直営地で強制労働をさせられ、残りの日は自分の保有地を耕します。しかも、保有地での収穫の半分は領主に年貢として納めるという貢納の義務があります。領主は農作物の大部分を所有して裕福な生活をしていたのに対し農民や村民はそれに比べたらわずかな量しか自分の分にできず、さらに家族が死んだときや、娘が他村に嫁に行ったとき、労働力の穴埋めとして徴収される死亡税、結婚税、教会に納める十分の一税があり、中世初期の農民の生活は悲惨なものであると言わざるを得ません。
やがて人口の増加や商業の発展などから都市が作られていきます。中世都市の多くは城塞都市です。城を中心とし、その周りに住居や店が存在し、一番外側を城壁が囲むといった形です。
まわりに壁をめぐらせる関係上、大国でも直径1?程、普通の都市だとおよそ300mで、地方では100m程の小都市が数多くありました。都市の外は山賊の襲撃や、略奪など、様々な危険に満ちていました。そのため都市に住む人々の多くはその人生のほとんどを、その城塞の中で送りました。都市の人間は商人や職人が主で、各種のギルドが存在しました。このような都市は12世紀〜13世紀ごろに発達していきます。そして、都市に住む人の一日はというと、朝はとても早いものでした。
夜明け前には皆起きだし、身支度を済ませてミサに行きます。やがて、日の出と共に商店が一斉に開き、町は一気に活気づきます。午前の軽い食事、昼のメインの食事をして、午後の昼寝をはさんで、午後6時の日没の鐘とともに、1日の仕事が終わります。人々は、軽い夕食を取りながら、今日1日の疲れを癒やします。夜9時には消灯の鐘が鳴り響き、家々の灯りは消され、城門は閉ざされて町はつかの間の眠りにつきます。
ルネサンスのおこり
ルネサンスの開始を明確に示すことは難しいですが14〜16世紀にかけてイタリアで興ったと広く言われています。イタリアが源流ですが「ルネサンス」とは「再生、文芸復興」を意味するフランス語です。古代ギリシャ・ローマの文化を模範にして神や教会を中心としていた中世の世界観から、新しく人間が中心の世界観への転換が摸索されました。イタリアを中心に展開されたルネサンスを特にイタリア=ルネサンスといいます。皆さんご存じのレオナルド=ダ=ヴィンチやミケランジェロといった巨匠はこの時代に活躍しました。
この時代の人々に多く広まった思想に「人文主義」というものがあります。古代ギリシャ・ローマの古典を学ぶことを通じて中世の朝の何時にお祈りをし、夜のこの時間になったら必ず寝るといったようなキリスト教中心の禁欲的な考えを捨てて、キリスト教に縛られず人間のありのままの姿を肯定するルネサンス期に見られた思想のことをいいます。ルネサンスの美術作品、文学作品を通じて様々な人間の欲望が肯定的に表現され人々に浸透していきました。
フランスにおけるルネサンスと人々の生活
1494年、ヴァロワ朝の時の王シャルル8世がイタリア遠征しナポリを支配した際に大量の美術品をナポリから持ち帰ったこと、またそれ以後にもイタリア遠征を行ったフランソワ1世がレオナルド=ダ=ヴィンチを招聘するなど15世紀末から16世紀初頭にかけてイタリア=ルネサンスが流入して来ました。これらのことがフランスにおけるルネサンスの始まりとされています。
人文主義が広まると、市民達は都市での生活はそのままに、生活の手本を古代ギリシャ・ローマの人々に求めました。彼らは当時のキリスト教の規則に縛られず、自由な人間中心の生き方を持っていました。彼らの残した文芸の作品を収集し、それを深く研究し復興することにより、新しい生き方を追求しようとしたのです。このような活動を通じ個性や個人の価値が自覚され、人々は身分によらないその能力の可能性を見出すようになりました。
今回は人々の生活と社会情勢を見てきましたが、次回は今日まで名を残しているルネサンス期の芸術家とその作品たちに焦点を当て、ルネサンスの文化の発展に迫っていきます。
(文責:語学・学術部)