第3回 芸術と貴族
第49回定期演奏会特設企画第3回を迎えることができました今回は、芸術を語るにあたって欠いてなくすことのできない「ルネサンス期」の芸術、
そしてそれを今日に渡って名を残すまで有名にした「パトロン」について紹介したいと思います。
ルネサンス
「ルネサンス(Renaissance)」については、このWEBサイトをご覧になっている方々も、一度は学校の授業で習ったことがあると思います。
イタリアのフィレンツェから発生し、その後西欧全土に広がっていきました。
フランス語で「ル(re)」は「再び・再来」、「ネサンス(naissance)」は「誕生」を意味し、繋げて訳すと「再生」となります。
作品を見れば分かりますが、中世当時の絵画には遠近法を使用しなかったり、単調な色使いばかりであったりと、立体感に欠けたものが多いです。
キリスト教が広まり、1000年近く支配されてきた西欧圏の国では古代ギリシャ・ローマの文化は衰退の一途を辿り、その多様性は失われてきました。
リアルさを失った絵画は、西欧の文化を破壊してきたキリスト教義の影響を受けてのものです。
かつて古代ギリシャ・ローマを中心に興った素晴らしい芸術を今また再生、復興させようというところからルネサンス期は始まります。
実際に絵画を比べてみると、聖母、或いは聖母子が信仰の対象として神々しく描かれているルネサンス以前の絵画に比べて、
ルネサンス後の絵画では生身の人間として描かれています。
時代の前後で明らかに思想の違いが絵画から見てとれます。ルネサンス期の絵画が見惚れるまでにリアルであるのは、
科学的な創作手法を用いてありのままを描くことを追求することに焦点をあてた「写実主義<realism>」と、人間とは何か、
人間らしい生き方とは何かという追求に焦点をあてた「人間主義<humanism>」からきています。
ルネサンス期では、この思想が大きく花開き、フィレンツェを中心にして芸術に革命を起こすことになります。
パトロン
このルネサンス期に多くの有名作品を生み出した芸術家の背後で活躍したのが「パトロン」です。
そもそも、パトロンとは何でしょうか? パトロンの語源は、ラテン語のパテル(pater:父)であり、時代と共にパトロヌス(patronus)に発展しました。
その意味は主に3つに分かれており、
1. 主人・経営者
2. 芸術家などを経済的に支援し、後ろ楯となる人
3. 異性への経済的な援助を行い、生活の面倒を見る人
となります。ここでは、2の意味合いのパトロンについて述べてみましょう。
ルネサンス期の芸術家を支えたパトロンは、芸術家に対する出資者であるとともに保護者でもありました。
クライアントとして芸術家に注文を出したり、彼らの生活費の援助や就職の面倒を請け負うこともあり、当時の芸術家にとってかかせない存在であったことがわかります。
パトロンがルネサンス期の芸術家たちを援助した理由には、
パトロン自身が芸術を愛好していたこと、
有名な芸術家を支援することで見栄をはれることなどが考えられます。
こうしたパトロンとなるのは教会や同業者組合といった団体から裕福な個人にまで及びました。
メディチ家
そんなパトロンの中でもとりわけ大きな力を持っていたのが、フィレンツェの名門貴族「メディチ家」です。誰もが一度は聞いたことのある名前ではないでしょうか。
メディチ家はその莫大な財力を以って、ルネサンスの改革に大きな役割を果たしました。一族の起源は13世紀にさかのぼります。
家業として営んでいた銀行業が、成功と失敗を繰り返しながらも次第に発展を遂げていき、14世紀ごろには、政治家としても活躍を見せるようになりました。
そうして大富豪と呼ばれるまでの地位についた彼らの栄華の時代から衰退の辿っていくまでの間には、多くの画家たちが関係しています。
メディチ家に迎えられ、支援を受けた芸術家
サンドロ・ボッティチェリ(1445-1510)
初期ルネサンスで、大きな業績を残した画家の一人です。プリマヴェーラ(春)、ヴィーナスの誕生などの有名絵画の数々を生み出し、その作品の多くが今でもフィレンツェの美術館で大々的に飾られています。
ボッティチェリの描く絵はその時代その時代の流れによって少しずつ特徴が変化していきます。
修行時代には師であるフィリッポ・リッピの画風に忠実に習った作品の数々を生み出し、独立を果たしてメディチ家に迎えられてからは、
プラトンの思想に再び焦点があてられ「新プラトン主義」を唱えていた時代の影響から異教徒をテーマに作品の数々を生み出し、ジロラモ・サヴォナローラの強い思想の登場により、再び画風を変えた作品の数々を生み出します。
時代に流れに沿って描法を合わせていくボッティチェリは飛びぬけて流行に敏感な時代性を持っていたのかもしれません。
そんな時代性が感じられる彼の作品にも、すべてのものに一貫して、人物の表情にどことなく陰りのような空気感があるような気がします。
おそらく、芸術家には必要不可欠である感受性を、人よりも強く秘めていたのではないでしょうか。
「プリマヴェーラ(春)」
(1477-1478頃)
ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)
ルネサンス盛期において最も偉大な功績を残した芸術家の一人であることは言うまでもありません。
彫刻家、画家、建築家として様々な分野に渡ってミケランジェロはその才能を発揮させています。
13歳の頃から芸術家としての道を歩み始め、14歳になるまでには一人前の芸術家として、師であった画家ドメニコ・ギルランダイオにもその才能を認められていました。
「彫刻こそが、ルネサンスの芸術革新を推進する最たるものである」という考えを持っていた彼は、その生涯に渡ってレリーフを彫り続けることに情熱を燃やします。
ピエタ、ダビデ像などをとってみても、彫刻された像の一つ一つから筋肉の動きや、布の質感の生々しさが感じ取れます。
人間そのものを再現するような勢いで彫刻され、完成された作品は、美術に興味のないような人にも直感的に「美」を訴えかけてくるような、ミケランジェロの人間への執念を思わせるような気がします。
「ピエタ」
(1498-1500)
「ダビデ像」
(1504)
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)
レオナルド・ダ・ヴィンチはイタリアのルネサンス期を代表する芸術家です。絵画、彫刻の他、建築や科学分野など多岐にわたってその才能を開花させ、万能人として名を馳せました。フィレンツェ西方のヴィンチ村で生まれた彼は、ボッティチェリらと共にアンドレア・デル・ヴェロッキオの工房で画家見習いをした後、ミラノ、ローマ、フィレンツェなどを中心に芸術活動を行っていました。
彼の絵画の特徴は、スフマート技法と空気遠近法です。スフマート技法(sfumato)とは、一切輪郭を描かず影だけで自然な立体感を表現する絵画技法のことです。深みやボリューム、形状の認識を造り出すため色彩の透明な層を上塗りすることが特徴的で、このスフマート技法をつかった有名な作品がダ・ヴィンチ作の『モナ・リザ』といえます。
一方の空気遠近法は、距離が遠くなるほど色調が明るくなり、かつ寒色になる技法です。この空気遠近法を使った有名な作品が、先述したヴェロッキオとの合作でダ・ヴィンチの処女作である『キリストの洗礼』です。
「キリストの洗礼」
(1472-1475 ヴェロッキオと共作)
「モナ・リザ」
(1503-1506)
第3回ではルネサンスの美術品や芸術家、宮廷、貴族の様子などをご紹介しました。次回最終回では「宗教と音楽」をテーマに、ヨーロッパにおけるキリスト教の影響を当時の音楽と結びつけながらご紹介いたします。
(文責:語学・学術部)