楽譜は、皆様ご存じ「ハレルヤコーラス」より、「王のなかの王」の部分です。
原曲では弦楽器群とトランペット・ティンパニのみの演奏ですが、モーツァルトはここにホルン、フルート、オーボエ、クラリネットを加えています。ヘンデル『メサイア』と聴き比べたときの、モーツァルト版『メサイア』の大きな特徴は、管楽器を盛り込んだ華やかなサウンドにあるといえるでしょう。
ヘンデルの時代では和音を奏でる通奏低音楽器としてオルガンが用いられることが多かったのに対して、モーツァルトの時代には主として代わりにチェンバロが用いられました。
モーツァルト編曲版における管楽器の重要な役割として、オルガンの代用としてチェンバロを用いた際に和音の響きの不足を充填することが挙げられます。しかし、モーツァルトによって追加された管楽器は和音を充填するだけに留まらず、様々なところに絶妙な色合いを添え、劇的な効果をあげています。
モーツァルトは明らかにクラリネットとファゴットによる新しい旋律を"創作"して、アルトの歌い出す主題に彩りを添えています。
このような箇所は『メサイア』全編に渡ってみられ、実にモーツァルトらしい手法で歌に華を添えていきます。
しばしば木管楽器はアリアや合唱に重ねられるように加えられ、メロディの性格を強調しています。
また金管楽器と打楽器が刻むリズムはここぞと言う場所で用いられ、古典派の時代の人々の力強さを感じさせます。
レチタティーヴォ「すべて彼を見るものは彼を嘲る」につづいて、群衆(合唱)が「神に救ってもらうがいい(He trusted in God/Er trauete Gott)」と十字架の上のイエスを罵るシーン。
オリジナル版だと、テノールの最後のセリフ「saying(このように言う)」の後の伴奏が終わると、1小節の間をおいて、合唱による群衆の台詞が始まります。これに対してモーツァルト編曲版は、ソプラノのセリフ「sagend(このように言う)」の後に「attacca subito il Coro(すぐに合唱に続く) 」の指示があり、伴奏が終わると同時に、次の合唱が始まります。
オリジナル版に存在したレチタティーヴォと合唱の間の1小節を、モーツァルトはあえて削っているのです。これを削ることによって、レチタティーヴォと合唱の関連性がより強調され、レチタティーヴォの激しさを合唱がそのまま引き継ぐように仕上げられています。
「すべての鎖を打ち砕け(Let us break/Brecht entzwei)」と福音の広がりに対して、救いの福音を拒む異教徒たちの様子を歌うシーンです。
ヘンデルは「Allegro(はやく)」を指定し、Let us breakと早い言葉のテンポから生まれる疾走感によって逸る民衆を表現していますが、モーツァルトは、「Larghetto(ややゆるやかに)」を指定しています。Brecht entzweiという子音の多いドイツ語の特徴を最大限に生かすことで、音楽の中に吐き捨てるようなニュアンスとリズム感を与えて愚かな民衆を描いているのです。
英語の発音が流麗であるのに対し、ドイツ語はその子音の多さによって、歯切れの良いリズムを生み出しています。また、ドイツ語には日本語や英語にはないウムラウト母音があり、言葉に独特の響きの色合いを与えており、とりわけ、全編を通して頻出のSünde(罪)、König(王)などは、ドイツ語の力強い響きの迫力が感じられます。
「私たちは羊のように散り散りに逃げた」とキリストを裏切った愚かな民が、無知の象徴である羊のようにさまよっている様を歌う場面です。 英語では「astray――」とのばすのですが、ドイツ語では、「floh'n wir zerstreut(私たちは散り散りに逃げた)」というフレーズを何度も繰り返しています。
この部分は、ドイツ語の語順の自由度の高さが活かされた歌といえます。ドイツ語では、ある程度自由に語順を入れ替えることができます。モーツァルトはこのドイツ語の特性を存分に発揮し、羊たちが散り散りに逃げたという場面を、感覚を通して伝えています。
アリアやレチタティーヴォの声種(パート)が変更されていることも大きな特徴です。
「シオンの娘に喜びを告げよ」とユダヤの民にキリストの誕生を知らせるアリアは、原曲ではソプラノが軽やかに歌い上げていますが、モーツァルト版ではテノールが指定されています。テノールの歌うアリアを聴いてみると、原曲と同じく軽やかな歓びの中にも男声らしい力強さが感じられます。
このほかにも数曲で声種が変更されており、語られる内容や音楽、そして言語の違いを考慮して、モーツァルトの思い描く『メサイア』にふさわしい声種が選ばれていると言えます。他、特筆すべき変更としては、第2部の「受難」のシーンの扱いがあげられます。オリジナルではテノールが受難曲のエヴァンゲリストのようにレチタティーヴォとアリアで物語を進めていきますが、この部分はソプラノIとソプラノII(アルト)に振られています。ソプラノII(アルト)の「目を留め、よく見よ」(Behold and see / Schau hin und see)は、十字架の下で涙を流すマリアを思わせます。
また歌い手に関する特徴的な変更としては、いくつかの合唱曲の冒頭に"solo"の指示が加えられていることがあげられます。
以下の第1部の3曲では、冒頭部分はソリスト4人が歌い、途中の"tutti"の指示により合唱が加わって、よりダイナミックに曲全体を盛り上げ、それぞれのシーンを劇的なものにしています。
「そして彼はレビの子らを清めるだろう」(And He shall purify/Und er wird reinigen)
「私たちの救いのために、みどり子が生まれた」(For unto us/Uns ist zum Heil )
「彼のくびきは負いやすく」(His yoke is easy/Sein Joch ist sanft)
『メサイア』第三部といえば、「ラッパが鳴り(The trumpet shall sound / Sie schalt die Posaun')」のトランペットソロを思い浮かべる方も多い事でしょう。
しかしなんと、モーツァルト版でソロを吹く「ラッパ」はトランペットではなくホルンです!
当時、トランペットで高音を奏でる技術(クラリーノ奏法)はいわば名人芸で、非常に貴重なものでした。バロック時代、クラリーノ奏法は王侯に愛され、その技術を持った奏者は、特別待遇を受けていました。しかし、モーツァルトの頃には趣向が代わり、クラリーノ奏法を身につけた奏者は激減、これはバロック時代の音楽をモーツァルトが扱う上での大きな課題の1つとなります。モーツァルトは代わりに、当時高音域に優れていたホルンを割り当ててソロの旋律を吹かせ、ソロに掛け合うようにトランペットともう1本のホルンが伴奏に回ります。トランペットの輝かしい高音の響きによる"勝利"が確かに本来の姿であるように感じられますが、ホルンの暖かい響きを主役にして、金管2本が支える"勝利"もまた力強く感じられます。
原曲において、神の栄光を表すトランペットの音が輝かしく響き渡る「いと高き所には栄光」。
編曲版では、弦楽器にフルートやオーボエが加わることでよりドラマティックになりました。そして原曲においては「地には平和を」の部分は弦楽器のみの荘厳で重みを持った音が奏でられていましたが、モーツァルトは、ホルンとトランペットによって地上の神を照らす栄光をティンパニによって地上の熱気と重みを表現しました。
第三部、アダムの原罪とキリストによる救いを合唱が語る部分、原曲ではオーケストラは静まりアカペラとなりますが、モーツァルトは合唱に重ねる形で管楽器を導入しています。
とりわけ、三本のトロンボーンがそれぞれ合唱のアルト・テノール・バスに重ねられる手法は、当時のウィーンの教会音楽で用いられていた手法で、モーツァルトの他の宗教作品においても見られます。