#04 モーツァルト版メサイア対訳・精読 【メサイア精読 第3部】
(2011.12.13)
第三部 目次
第一部では、救世主を待ち望むユダの民の「人々」に、第二部では受難の道を歩む「彼」に焦点がありました。
では第三部ではどうでしょう。
冒頭の一語がまさに示しているように、今こうしてキリストの恵みを知り、それを信じて生きている「私」にあると言っていいのではないでしょうか。
第一部も第二部も、未来形の予言で書かれている部分は多くありますが、出てくる話はどれも過去の物語です。
それに対して第三部には、文字通り未来のことが書かれており、それを信じる「私」によって語られるのです。
審判の日に、天使の吹くラッパが鳴り響き、人々は蘇り、裁きが行われ、「命の書」に名のなき者は火の池に投げ込まれて、第二の死を迎えます。
この日は、全ての人にとって恐ろしい日です。しかしキリストとの約束のうちに生きる人は、待ち望んでいた日でもあります。勝利が訪れる日であって、死に別れた人との再開の日にもなるでしょう。
そしてこの世の王国はキリストのものとなり、彼によって永遠に治められるのです。
No.33 (Soprano1)
「私は知っている、私の罪を贖う方が生きていることを」
No.34 Coro
「死が一人の人によって来るように」
No.35 (Bass)
「聞くがよい、奥義を告げよう」
「ラッパが鳴り響き、死者たちは朽ちぬ者として蘇る」
Recitativo(Soprano2)
「そうして全能なる者の言葉が実現する」
No.36
「死よ お前の矢は何処にある」
No.37 Coro
「しかし神に感謝あれ」
☆人々を蘇らせるキリストへの期待と信仰
Recitativo(Soprano1)
「もし神が私たちの味方ならば」
No.38 Coro
「いけにえとなり その血によって私たちと神をとりなした子羊こそは」
「アーメン」
☆死の克服と永遠の命への信仰、罪を担い、人間を救ったイエスをたたえる言葉
【第16回】
No.33の前半は、旧約聖書後半に出てくる信仰厚い義人、ヨブの物語からの引用です。裕福だったヨブが、財産も子供も失い、重い皮膚病を患ってもなお、神が自分の側に立っていることを信じてこの言葉を語ります。
No.33 Aria (Soprano1)
ヨブ記19章25-26節
Ich weiß, das mein Erloser lebet,
私は知っている。私の罪を贖う方が生きておられることを。
und das er mich einst erweckt am letzten Tag.
そして、いつか最後の日に彼が私を目覚めさせることを。
★キリスト教では世界の終わりにイエス・キリストが再臨し、あらゆる死者をよみがえらせて裁きを行い、永遠の生命を与えられる者と地獄に堕ちる者とに分けるという思想があります。
Wenn Verwesung mir gleich drohet,
腐敗が私を脅かしても、
wird dies mein Auge Gott doch seh'n
この目は神を仰ぎ見るだろう。
ここから、使徒パウロが書いた新約聖書のコリント人への第一の手紙へと移ります。
ここの文は手紙の結びの部分にあたり、死者の復活についてパウロの考えが記されています。
コリント人への第一の手紙15章20節
Ich weiß, das mein Erloser lebet:
私は知っている。私の罪を贖う方が生きておられることを。
denn Christ ist erstanden von dem Tod,
キリストは死から立ち上がられたのだから
ein Erstling derer, die schlafen.
眠った者たちの初穂として。
No.34 Coro
コリント人への第一の手紙15章21-22節
Wie durch Einen der Tod,
死が一人の人によってもたらされるように
so kam durch Einen die Auferstehung von dem Tod.
死者の復活もまた 一人の人によってもたらされる。
Denn wie durch Adam alle sterben,
アダムによって全ての人が死を迎えるように
also wird, wer starb, durch Christum auferweckt.
キリストによって死んだ者たちは蘇るだろう。
ここでは死と生が対比的に述べられています。アダムがエデンの園で禁断の木の実を食べてしまったことによる罪、すなわち原罪によって、人は死すべきものとされました。
これが古い契約=旧約です。
しかし、イエスが人の代わりに受難し、死んだことで、人の罪の代償を払い、人は死の運命から救われると説いています。これが新しい契約=新約です。
復活の歴史が語られた後、復活の定義を綴ったのち、パウロは50節以降の最後の部分で復活の勝利について記します。
次に出てくるBassのRecitativo及びAriaでは、引用された内容の通り金楽器を用いて演奏され、最後の審判が始まる時に天使が吹き鳴らすとされるラッパが表されます。
No.35 Recitativo accompagnato (Bass)
コリント人への手紙15章51節
Merkt auf! Ich künd' ein Geheimnis an:
聞くがいい 奥義を告げよう。
wir sterben nicht alle, doch werden wir alle verwandelt,
私たちは皆死ぬのではなく、全ての者は変えられるのだ。
und das plötzlich, wenn die letzte Posaune, vom Thron erschallt.
突然に、最後のラッパが王座から鳴り響くうちに。
Aria
コリント人への第一の手紙15章52-53節
Sie shallt, die Posaun' und die Toten ersteh'n unverweslich:
ラッパが鳴り、死者たちは朽ちぬ者として蘇る。
dann wandelt uns Gott.
そして神は 私たちを変えられるだろう。
ここまでの50-53節で、"朽ちないものが朽ちるものに打ち勝つ"ことを説いており、ここからコリント人への手紙の結びの最後は、"命が死に打ち勝つ"と語ります。
Recitativo (Soprano2)
コリント人への第一の手紙15章54節
Dann wird erfüllt das Wort des Allmacht'gen:
すると全能なる者のこの言葉が実現するのです。
der Tod ist in den Sieg verschlungen.
「死は勝利に飲み込まれた」
★引き続きコリント人への第一の手紙ですが、さらにイザヤ書:25章8節からの引用になっています。
No.36 Duetto (Soprano2,Tenor)
コリント人への第一の手紙15章55-56節
O Tod, wo ist dein Pfeil,
死よ、お前の矢は何処にある
o Grab, wo ist dein stolzer Sieg?
墓よ、お前の驕れる勝利は何処にある
Der Pfeil des Tod's ist Sunde,
死の矢は罪であり
und die Kraft der Sund' ist das Gesetz.
罪の力は律法である。
★No.36では、死の敗北が歌われ、その死をもたらす矢(=罪)さえも恐れるに足りないものとして歌われています。
そして人を罪と定める律法もまた、もはや自分たち信者を裁くことはできないという意味を表しています。
最後に、人に勝利を与えたイエス・キリストを讃える言葉で括られます。
No.37 Coro
コリント人への第一の手紙15章57節
Doch Dank sei Dir Gott;
しかし神に感謝あれ
denn Du gabst uns erhab'nen Sieg
私たちに崇高な勝利をたまわる神に
durch unsern Herrn Jesu Christ.
主イエス・キリストによって。
No.35後半のRecitativo「すると全能なる者の」からNo.37「神に感謝あれ」までは死の最終的な克服、つまり永遠の生命への信仰を歌っています。復活の勝利について、No.35前半とは違った視点から描かれていることが分かるかと思います。
次回で、いよいよメサイア精読も最後になります。死を克服し、永遠の命を信仰する人々はイエスと主を讃え、祈りを捧げます。
【第17回】
ローマ人への手紙は、コリント人への手紙と同じくパウロによって執筆されました。この8章31節に至るまで、パウロは人の罪やキリストの栄光について語ります。そして、31節に入ったところで、「では、これらのことからどういうことがいえるのでしょう」と、読み手に尋ねています。
これは、このメサイアにおいてもまさに同じことがいえるのではないでしょうか。これまで、一部から三部を通して、預言・キリストの降誕と受難、そして復活・永生に渡り、多くの聖書からの引用とともに、様々な場面をみてきました。
演奏が終曲に近づいていく中で、これらのことからどういうことがいえるのでしょう?
Recitativo (Soprano1)
ローマ人への手紙8章31-34節
Wenn Gott ist für uns,
もし神が私たちの味方ならば、
wer kann wider uns sein?
誰が私たちに敵対できるでしょう。
Und wer klagt Jenen an,
誰が訴えることができるでしょう、
den Gott selbst hat erwählt?
神が自ら選ばれた者たちを。
Es ist Gott, der uns gerecht macht,
神こそが人を義としてくださるのです。
wer ist's, der uns verdammet?
誰が私たちを罪に定めることができるでしょう。
Christus ist's, der Starb; ja, vielmehr, der wider erstant
死なれた方、否、むしろ復活した方であるキリストが
der sitzet zur Rechten Gottes,
神の右に座していて
und der ist ein Mittler für uns.
私たちのために執り成してくださる。
ヨハネ黙示録の第5章では、神の王座に座られる方への礼拝と、子羊への讃美が綴られています。
天上の王座に座られる方の右手にある「封印された巻物」を、キリストがその血をもって解いたことによって、人々は彼を祝福し、讃えます。
そしてその最後に、祈りの言葉が捧げられるのです。
No.38 Coro
ヨハネ黙示録5章12-14節
Würdig ist das Lamm, das da starb
いけにえとなり
und hat versöhnet uns mit Gott durch sein Blut,
その血によって私たちと神をとりなした子羊こそは
zu nehmen stärke und Reichtum
力、富、
Und Hoheit und Macht und Ehre
威厳、権能、名誉
und Weisheit und Segen.
知恵、祝福を受けるにふさわしい。
Alle Gewalt und Preis und Macht
全ての権威、賛美、権能
Und Ruhm und Lob sei ihm,
栄誉、賞賛が
der auf dem Stuhle thronet und dem Lamme,
王座に座られる方と子羊にあれ、
von nun an und ewig.
永遠に。
Amen.
アーメン。
これで、メサイア精読は終わりです。
現代にまで語り継がれ、世界中の多くの人が信仰している救世主の物語を少しでも感じる手助けになったのなら幸いです。